緩く楽に生きる日々

自己紹介

みやび独立思考

「ゆるく楽に生きる」をモットーに、独立を目指す31歳サラリーマンです。 ひとりの時間を愛しています。音楽レーベル、ドラッグストア店長、住宅営業、これまで様々な職種を経験。住宅営業時代は転職してすぐに無視される経験をし、人間不信になりかけました。現在は年間休日150日ある企業で住宅アドバイザーをしています。パソコン1台で月10万円を稼いだ経験からマインドが激変、まったりした生活が継続できる毎日を構築中

初めまして。みやびと申します。
ご覧になっていただき、ありがとうございます。
普段は普通の会社員をしながら、独立を目指してインターネット上でnoteを書いたり知り合いの社長さんからライティングの仕事をいただいたりして、生計を立てている31歳です。家族は妻と4歳の子供の3人で暮らしています。

今すごく幸せに過ごしているみやびですが、これまでを振り返ると波乱万丈な人生だったと思います。まだ30代ですので、これからもたくさんの辛いことや困難が待っていると思いますが、これまでの私の人生を簡単にこの記事では書いていますので、ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。

私のこれまでの経歴を簡潔にまとめています。

・年齢
31歳
平成5年、西暦でいうと1993年生まれ。ドーハの悲劇が起きた年ですね。ゆとり世代とも言われ、社会に出たての頃は、年が10個以上離れた先輩や上司にかなり馬鹿にされてきました。ドーハの悲劇の事といい、何かと負い目を感じているような世代のような気がします。

・経歴
高校卒業後
地元の工業高校を卒業した後、レコーディングエンジニアを目指し、音楽の専門学校に進学します。

レコーディングエンジニアというのは簡単に言うと、ミュージシャンがCDを作るための録音をする仕事です。

2年制の学校だったのですが、2年の途中で就職が決まり、学校に籍を置きながら上京して働くという、よくわからない働き方をします。

初めての就職
東京のとあるレコーディングスタジオ(誰もが知っている)に就職し、
有名なアーティストの方のCD制作の現場を間近で見る貴重な経験をします。

アーティストが歌うためのマイクを準備したり、録音が始まれば
どこから歌いなおしをするのか、もっとオケを大きくしたほうが歌いやすいのか、リヴァーヴ(カラオケでいうエコー)を強めにかけたほうがいいかを
確認しながら、レコーディングを進めていきます。

5分間ぐらいの一曲を録音するのに、12時間を使うこともありました。

何か世の中の裏側を見たようで、毎日不思議な気持ちで仕事をしていたのを覚えています。

朝8時ごろ出社し、毎日夜中の3時ぐらいまでレコーディングのサポートをするという、激務に耐えられなくなり1年程で辞めてしまいます。

「有名人に毎日会えて羨ましい。」と友達や家族には言われていましたが、仕事となるとそんなことにでは喜べなくなってしまいます。このギャップがかなりきついものがありました。

地元を離れて、大都会で夢の仕事をするという夢を失った私は、

「何かアルバイトでもしないとなあ。」と思い、
昔から買い物に行くのが好きだったという理由でドラッグストアでアルバイトを始めます。ここでの経験が後に生きてきます。

ホームシックで地元に帰省
上京して、好きな仕事をするという夢に挫折した喪失感から、かなりのホームシックに見舞われ地元に帰省します。

ただ、地元に帰ってからも、音楽の仕事に携わるという夢を捨てきれない私は、地元のライブ音響などをしている、東京にいた頃の会社と比べると遥かに規模の小さい会社ではありましたが、親戚の紹介でその会社に就職する事になります。

就職した会社は規模も小さく、社長が仕事を持ってきて、社長がその現場を仕切るという非常に社長との距離がかなり近い環境で、社長のそばで、ほぼ毎日仕事をするという経験をします。

この社長が鬼のように怖かった。
毎日怒鳴られてました。

しかも、同僚が社長の息子という、最悪な環境で仕事をする事になります。当の社長は、息子には激甘。

私にはかなり厳しくあたる。という、いつ後ろから刺してやろうか?と毎日考えていたぐらい、悔しい思いをしました。

この経験があるので、後々、どんな困難もそこまで辛いと思わなくなるという精神力を培うことができました。

ここの会社は、仕事中に社長のあまりの理不尽な怒鳴りに反発してしまい、舞台で使うマイクを社長に投げつけて職場放棄後、そのまま辞めるという、かなり恥ずかしい辞め方をしてしまいました。

ドラッグストアの店長に

もう、音楽の仕事は諦めよう。。。
夢だった音楽の仕事でしたが、夢半ばで諦める事になります。

そう決めてから、以前東京で職を失い、アルバイトをしていた、地元では有名なドラッグストアが、準社員の募集をしていたので、そのドラッグストアで働くことになります。

面接をしてくれたエリア長が、非常に良い方で、一緒に仕事をする事になり、私の働きぶりをかなり評価してくださり、入社して僅か半年で「店長になってみない?」と声をかけてくださいます。

当時23歳でした。23歳で店長!? 周りの友達や、家族にもすごく驚かれましたが、これも何かの運命だなと思い、店長を引き受ける事を決めます。

この仕事が本当に楽しかった。23歳という若さで、毎月の売り上げ4000万円程のお店を任されるというのがすごく嬉しく、自分の裁量で商品のラインナップを考えたり、おすすめ商品の売り上げを伸ばす事に楽しさを感じました。

スタッフも30〜40人ほどおり、毎月のシフトを考えたり、毎日のスタッフのスケジュールを決めて指示を出したり、(こんな経験をできている23歳はなかなかいないよな。)なんて事を思いながら毎日優越感に浸っていたのを覚えています。←嫌なやつですね笑

飽き性の性格にしては、仕事の面白さもあり、この仕事は5年間続けます。
今もこの仕事の経験が大きく役に立っています。

奥さんとの出会い
前述した、ドラッグストアの店長をしている5年目の時に、異動先の店舗で今の奥さんと職場で出会います。
馴れ初めなどを書くのは少し照れくさいので
いつか話せる機会があればどこかで書こうと思います。

奥さんとは、できちゃった結婚。。。
と言うのはあまり好きではないので、「授かり婚」と表現しますね。
付き合って半年でお腹に赤ちゃんがいることがわかります。
人生で、こんな経験をするのは勿論初めてだったので、驚きと嬉しさと、戸惑いと。いろんな感情が一気に溢れたのを覚えています。

この時26歳。
家族を養っていかないといけない立場に急に立つことになります。
この出来事が、今の営業職に就いた大きな理由です。

営業職に転職

なぜ営業職を選んだかというと、元々お客様と関わるということは好きだったのですが、営業の仕事は基本給プラス、成果を上げた分の「インセンティブ」があることに魅力を感じて、「これだ!」と確信しました。

「家族を男1人で支えてみせる!」そう決意し、思い切って店長という役職を捨て、「営業で稼ぎまくってやる!」と転職を決意します。

営業職に就いてからの、エピソードはこちらに記載をしているのでぜひ
こちらの記事を読んで頂ければと思います。

https://note.com/brainy_sedum547/n/nda2db44d0629

住宅アドバイザーへ転職

住宅営業は3年間やりましたが、毎日の営業成績のプレッシャーと、公休日も仕事をするのが当たり前の毎日に嫌気がさして、住宅アドバイザーというノルマはあるけれども、営業時代ほどは数字を詰められない仕事へ転職します。今までの経験も活かせることもありますし、この転職は割と正解でした。休みも年間150日ほどあり、週の平均の休暇数が3日、休みの日は社内の携帯電話を出るのは禁止という最高な環境で仕事をすることができています。営業時代よりは給料は下がりましたが、その分プレッシャーから解放され、のびのびと仕事をすることができ、家族との時間も増えています。何より休みが多いので、副業に当てられる時間も増えました。今後は、副業の方に集中し、将来的には独立を目指して現在奮闘中です。

みやびという人間が少しはどんな人間かわかっていただけましたでしょうか?

それでは
今後も、みやびをよろしくお願い致します。

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