緩く楽に生きる日々

みやびの過去【高校編】

みやび独立思考

工業高校卒の社会不適合者です。ひとりで緩やかに稼ぐ時間を愛しています。「ゆるく楽に生きる」をモットーに、パソコン1台でまったりした生活が継続できる毎日を構築中。潜在意識と、宇宙意識を学べば人生は激変します。私にもできたので、あなたにもできます。 嫌いな言葉:接待、社交辞令、忖度

どうもみやびです

 

少し時間が空いてしまいましたが

今回高校時代のみやびのことを書いていきます

 

高校編は人生の中で結構辛い期間でした

その辛いきっかけは入部した野球部を1ヶ月で辞めてしまったことから始まりました

 

僕は中学校まで野球部に入っていましたが、

高校でも野球部に入ろうと思っていたところ

高校の野球部は練習スタイルが土日休みは1日練習ということで、

中学校編で書いた当時の彼女、しほちゃんと付き合ったのもあり

しほちゃんとの時間を優先したい気持ちが強すぎたのです

1日練習でしほちゃんとの時間が取れないのと

中学校のメンバーが好きすぎて、高校に入ってから、他の中学校から来た人たちと

馴染めないという理由で部活を辞めてしまいます

 

野球部など、体育会系あるあるなのですが、すぐに部活を辞めたことにより

野球部の同級生から陰で「脱走兵」というあだ名を付けられていました

ヒソヒソで話しているつもりでも、なんとなく「俺のことを言っているのだろうな」

というのを、高校生なりに感じ取ってしまい、それが本当に辛かったです

 

中学校はそこそこ友達も多く、クラスの中心にいたつもりでしたが

高校でそんな扱いを自分が受けるとは思わず、精神的にかなり辛かったです

自分の性格上誰か、とびっきり仲がいい人がいて前に出ていけるタイプだったのですが

誰もそんな友達がいない中、そんな扱いを受けるところから入ってきたので

絶望感と失望感しかありませんでした

 

結局、僕は1年生の3ヶ月目くらいにラグビー部に入ることになりました

僕が部活もせずフラフラしているところに

ラグビー部の顧問から「お前ラグビー部に入らないか?」

と言われ、流れでラグビー部に入ることになりました

身長は180センチ、体重は70後半ぐらいある一般的には

恵まれた体格を持て余している僕に声をかけてくれたのでした

ラグビー部の人数が足りていなかったのもあり、何もわからなかったですが

入部届にサインをしました

 

工業高校あるあるなのですが、部活をしていないと

クラスの隅っこに追いやられていきます

中学校時代1軍にいた自分にはその状況が耐えきれず

ラグビー部には入れたことは、自分にとってプラスの状況でした

 

ちなみに、ラグビー部は1日練習などはなく、

効率的に短時間で集中して練習するというスタイルだったので

しほちゃんとの時間を作りたい僕にとってもものすごく好都合でした

 

また、身体をゴリゴリに鍛えたり

野球よりもきついイメージのあるラグビー部に入ったことで

「脱走兵」という貧弱、根性なしというイメージは払拭できていったように思います

 

でも、なんの経験もないラグビー部に入って

思ったのが、自分には全くラグビーの才能がないということでした

痛いのも嫌いだし、思いっきり相手にぶつかって行くという事が

相手を傷みつけるのも嫌で、できませんでした

 

最初人数が足りない状況に入っていた当初は監督からも

コーチからも、他の同級生や先輩からも

歓迎ムードでしたが「こいつマジで使えない」

みたいな空気感が蔓延していきます

その空気感を察し、部活よりもしほちゃん(他校に通っていました)

を優先して仮病を使って休むことも多くなっていきました

やっぱり根性なしは変わりないみたいです

 

 

そんなやつが、ラグビーが上手くなるわけもなく

勉強もできるわけでもなく、

部活も頑張らない、無気力な高校時代でした

なんとなく月日が経ち、3年になってから地獄のような日を迎えてしまいます

 

それが、自分の高校のグラウンドで他の高校のラグビー部を呼んでの試合に

野球部の全員が顧問も含め、試合をに応援に来るという事件です

他の同級生や自分よりも下の学年の人が試合に出ている中、

僕はスタメンに入れていない唯一の3年生でした

 

それを元野球部のメンバーに見られた時に

足元から崩れ落ちるような、絶望の屈辱を味わいました

「あいつ野球部辞めて、ラグビー部に行ってもダメだったんだな」

こんな声が実際に耳に入ってきたわけではないですが、絶対に

そう思われていたと思います

 

次の学校の日はショックのあまり、風邪を理由に休みました

厳密には通学途中に帰りました

 

ペダルをこぐ足が、「これ以上漕ぐな」と言っていました

精神的にだいぶ参りました

32歳になった今でも、あの試合に唯一出れていない3年生の状況の夢を見ます

 

 

人前に出て話したり、会社でコミュニケーションを図ったりするのも

一歩引いてしまう、私のネガティブな人生はこの高校時代、野球部を辞めてから始まっています

今は、ある程度人生を楽しめていますが、こんな経験をしたからこそ

今のようなライフスタイルを送れているんだなとも思えています

 

 

幼少期から高校時代まで書いてきましたが

なんとなくみやびがどんな人間なのか?

少しでもイメージできてきましたでしょうか?

 

 

こんなほぼマイナスばかりの人生でも

今を充実させて生きることができています

 

次は専門学校時代を書いていこうと思いますが

あなたの人生のプラスに少しでもなれるように

これからも活動していきます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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